数日前の長雨を期に、日課だった神社参り(と、伴うロシアンルーレット)を、
なんとなく、ヤル気が無くなった。
自覚はしていたが、願掛けでさらに鬱度が増すからだ。
…というのはタテマエで、要するに、期待した効果が得られないことが主だったり。
それに、「見えないけど居る」気がしてしかたないんだよね。
そのうち、生存時のように、「脇にいるはずのアナ」に、普通に話しかけ始めるかも。

ノースポールの後を追うように、裏のシャスターデージーが咲き狂っている。
好き放題伸び、倒れ、乱れる花の群れ。
12年前、この、花の中に、確かにアナが居た。

6/10、早朝、トラックターミナルまで愛車を駆った日、
遠い過去のはずなのに、昨日のことのように思い出す。
物事には、始まりがあり、終わりがくる… 頭では判っているはずなんだけど。
自分自身、このこだわりに戸惑っている。

来年も再来年も、この花は咲き続けていく。
この家の住人が朽ちるまで。

けれど、おかしなものだね。
この道にアナの姿が無いのは。
…何処に居る? まだこの世に居るのかい?
要領の悪い、クソ真面目なオマエだから、
いくら賽銭積んでも、一人で渡し舟なんて乗れず、ずーっと待っているような気がする。
以前、散歩中にはぐれたとき、
すぐ向こうに家が見えるこの道の傍、じっと私を待ち続けていたときのように。
「そんなに真面目では損だよ」と何度も言っただろう?
おまえたちは、なぜ、皆、それほどまで従順で居られるのだろう。

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